【風水と陰陽道】陰陽師 安倍晴明 – 桃太郎の鬼退治のお話まで

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風水に興味を持ち始め、いろんな知識を得ていく中で必ず目にするのが「陰陽五行説」です。この「陰陽五行説」の「陰陽説」について今回の記事では可能な限りわかりやすく説明していきたいと思います。「陰陽説」は、風水だけではなく極端な話しかもしれませんが「日本の文化にまで浸透している」と言える思想ですので、これを機に知見を深めてください。

陰陽説とは?

風水を知ってくると「陰陽五行説」は必ず目にしますが、そうなると「陰陽五行説って何?」となるのですが、「陰陽五行説」にある「陰陽」とは「風水」と同じで中国発祥の哲学的な思想のようなもので、「陰陽説」と「五行説」が組み合わされて「陰陽五行説」となり現代に至ります。

陰陽説」とは、中国で発祥した思想であり、「世の中の全てのものが陰と陽に分類される」というものです。

いつ日本に陰陽説が?

「日本に陰陽説がいつ伝わったのか?」という疑問は、前回記事の「風水の歴史」でもご紹介した風水が伝来した時代と同じ頃になります。

5〜6世紀頃に暦法と一緒に伝わった陰陽五行説(陰陽五行思想とも言う)ですが、この陰陽五行説は段楊爾(だんように)という五経博士(ごきょうはかせ・ごきょうはくし)が風水が伝来した時と同じように、百済から日本に持ち込み広がったというのが「日本書紀」に記載されています。

そして、ここでも登場する歴史上の人物が「聖徳太子」です。

誰が陰陽説を広めた?

段楊爾(だんように)が持ち込んだ「陰陽五行説」をその時すでに日本に伝わっていた仏教に精通している「聖徳太子」が日本で「陰陽道」となるようにしたものが「陰陽説」です。

日本に陰陽説を広めた人というのは、結局は「聖徳太子」となります。聖徳太子は、「陰陽五行説」を日本の政治にも盛り込むことにしたので「陰陽道」が出来上がり、「陰陽師」という役職ができたのです。

現代で言うところの宮内庁のような機関に「陰陽寮」という「陰陽道・陰陽師の役所と役職」を作り、「天文学」、「易学」などを取り入れて、吉凶について知るようにしたり、陰陽師に呪術などで吉凶をコントロールさせるかのような方法を使うようにさせたのです。

聖徳太子がここまでいろんなことを広めていたなどとは、多分、学校で習う歴史の教科書では取り上げられていませんよね。

陰陽説の解説

では、この陰陽五行説の前進の「陰陽説」とはどのようなものなのでしょうか?

陰陽説

陰陽五行説は、「陰陽説」と「五行説」が組み合わされたものですが、その「陰陽説(陰陽思想ともいう)」とはいったいどのようなものなのかを説明すると「世の中の全ての物(万物)は陰と陽という2つの性質に分けられる」という概念の元、発展した思想です。

要は、全ての物には表や裏があるように二面性があるということです。そして、陰の性質がある物と陽の性質がある物とに分かれ、このような思考は、東洋医学・食事療法などにも当てはまる思想です。

洋画や海外ドラマなどでもセリフにyin-yangなどで使われているのをたまに耳にします。海外でも陰陽説陰陽五行説は伝わっているので、今や世界中で東洋に詳しかったり、東洋が好きな外国人には馴染みのある説なのです。

陰の性質がある物を説明しますと、陰の物というのは固まるエネルギー体ということになり、実体がある物体であり、物質的、冷たい性質を持っています。陰に関することの根本的な性質として覚えておけば大丈夫です。

陰と対照的な陽の性質は、陰が物質的であるのに対して、物質的ではない物が陽になります。動きがあるエネルギーで温かい性質があります。

注意点

ここで、注意が必要な点がありますので説明します。この注意点は今後の風水を理解する上でもとても大切なことですので頭に入れておいてください。

陰と陽に分かれている陰陽説では、陰だから暗いというイメージを持つと思いますが、このイメージはよくありません。この暗いというイメージはマイナス要素ではなく暗闇があれば光が必ずあるという対照的な物の片方であるということであり、マインドやメンタル的なことで、マイナス思考のようなカテゴリーで考える物ではありませんので、その辺はきちんと理解しておいてください。

この陰陽説で注意が必要なのは、「陰」は悪いというイメージを持ち「陽」はプラスの良いというイメージを持つというように良い悪いで考えてはいけないということなのです。

先にも述べたように「光があれば、必ず暗いところもある」ということ。「暗いところがあるということは必ず光があるから」ということで、この世の全てには必ず相対する物があり、バランスが取れていて初めて良いとする物なのです。

太極図

陰陽の太極図をご存知の方も多いと思いますが、この図が「陰陽」の全てを表しているのです。太極図では大きな円が「白と黒」に分かれていて、中央を湾曲した線で区切っています。そして、白色の部分が「陽」を黒色部分は「陰」を表しているのですが、陽の白い部分には黒い丸、陰の黒い部分には白い丸があります。

この丸の意味は、「陽の中に陰があり、陰の中には陽がある」という意味なのです。

太極拳

太極図と聞けば、次に太極拳をイメージしてしまう人も多いかもしれません。実は、太極拳も太極図のように陰陽からきているのです。

太極拳の動きは、太極図を模しているかのように円を描くようにして動き、陰と陽は人の内面と外面を表し、動と静の動きでそれらの意味を表しています。また、体を動かすということは、心と体のバランスが取れていて「一体」となっていなくてはならず特に運動となると、この心と体のバランスが取れていないことには思ったように動くことができません。

陰陽表

ここで、陰陽の表で何と何が相対する物なのかを覚えておきましょう。

太陽

大まかに上記の表のように陰と陽にいろんなものというよりは、世の中にある全てのものが分かれています。

陰陽道

ここまでくると、「陰陽師の陰陽道って何?」となるとは思いますが、陰陽道とは日本で独自に進化した学問であり、陰陽説と占術や天文学、易学、方位などが組み合わせられた日本オリジナルの陰陽道であり、中国の思想をベースにはしていますが、違うものとして認識しておいてください。

日本に伝わった時には既に、陰陽説と五行説を組み合わせた陰陽五行説として伝わっているので、陰陽道の解釈なども少し変わってくるのですが、ここでは日本で独自に進化し、政治にまで組み込まれたり日常にまである陰陽道について説明します。

日本の陰陽道とは、陰陽説にさらに独自にプラスした要素を組み合わせてできたものだというのは、もうお分かりいただけているはずですが、では、陰陽道とはなんでしょうか?

つまり、陰陽道とは天文学や易学、陰陽説と五行説をミックスさせて、吉凶について知りその対策をするのが陰陽師なのです。鬼門など聞いたことがあると思いますが、方位や天文学、他の学問や説を総合して、鬼門があればそこに呪術などで鬼と例えられたり言われたりする様々な物や悪のカテゴリーに入る物などを排除したりしていました。

また、陰陽師がする独特の足捌きなども効果を発揮していたり、鬼門から鬼や悪い気を入れないようにするなど、本当にしていたのです。

その、陰陽師で超有名人物が小説や映画、漫画などにもなっている陰陽師「安倍晴明」です。

陰陽師 安倍晴明

では、超有名陰陽師の「安倍晴明」とは何者なのか?という説明は必要ないかもしれませんので、安倍晴明の逸話を紹介します。

葛の葉伝説では晴明の母親は狐?

安倍晴明の記録は、生まれてから幼少の頃の記録がないようですが、葛の葉伝説というものが伝承されていて、そこでは晴明の父親である安倍保名が狩人に追われていた狐を助けましたが、助ける際に怪我を負ってしまいます。

保名の怪我を介抱する女性が現れ、恋に落ちて子供が生まれました。それが晴明と言われているのですが、保名の怪我を介抱しに現れた女性は、保名が狩人から救った狐であったとのこと。つまり、晴明の母親は狐になるという伝説です。

遅咲きの天才陰陽師

安倍晴明について歴史書などに名前が出てくるのは40歳になってからです。それまでの晴明についてはほとんど記録がないようですので、ミステリアスどころではない人物なのですが、平安時代の平均寿命が30〜40歳と言われていて、40歳を過ぎてから段々と活躍していき、出世していくのは、本当に神懸かり的だったのかもしれません。

「遅咲きの天才」と言っていいものかどうかも疑問になるくらいで、晴明は83〜84歳で亡くなったと言われているのですが、その死因についての記録もないとのこと。

当時の平均寿命の倍を生きて、陰陽師として活躍した安倍晴明の長寿や活躍は、陰陽道や呪術などの賜物なのかもしれませんし、もしかしたら伝説にあるように狐と人から生まれた人物だったからなのかもしれませんね。

平城京と平安京

前回の「風水の歴史」でも平城京と平安京について少し触れましたが、奈良の平城京は風水の「四神相応」に当てはめて土地を決め、建設されたという説があり、平安京は「陰陽五行説風水」などを駆使して作られたと言われています。

また、天皇は江戸時代の終わりまでずっと京都におられたということから、当時の京都、日本の中心都市、都である京都は天皇にとっては、良い場所でなくてはなりませんでした。

平城京が奈良時代に作られて、平安京は平安時代。そして、天皇が江戸時代末まで(つまり明治時代まで)京都におられたということは、単純に計算しますと平城京が作られた710年〜江戸時代末1868年までの間ということになるので、1158年も京都が天皇にとってふさわしい場所とされていたと考えることもできます。

そう考えると「陰陽五行説風水」、「陰陽師の知識や呪術」などは1世紀もの効果があると考えてしまうのは、あまりにもおかしな話でしょうか。

都市伝説と陰陽 – 桃太郎の鬼退治のお話

前回の記事でも都市伝説と風水ということで紹介させていただいた中で、山手線と中央線が陰陽の太極図というお話を紹介しました。

今回は、日本人では誰もが知っている桃太郎の鬼退治のお話です。

陰陽道では鬼門というものがあり、そこから鬼や数々の人にとって悪いものが来る方角というようになっていますが、桃太郎のお話は誰もがしている童話ですよね。

絵本でご覧になった人がほとんどだと思いますが、その絵本で描かれている鬼の格好を思い出してみてください。

大体、鬼には二本の角があり、虎柄のパンツを履いています。実は、鬼の服装や容姿などは、鬼門を表す方位「北東」に位置する動物(干支)に当てはめてコーディネートされているのです。

北東の方角に当てはまる動物は「牛と虎」になります。これで先ほどの鬼の格好を思い出していただくと、当てはまるのが、鬼の二本の角は「牛」の角で、虎柄模様のパンツは「虎」に当てはまります。

そして、それに対抗するのが裏鬼門の表す方位「南西」の方角に位置する動物「犬・猿・雉(鳥)」だったのです。ですので、桃太郎は「犬・猿・雉」の動物を従えて鬼ヶ島に鬼を退治しにいくのです。

「鬼という怪物・化物を退治しに行く時に何故犬・猿・雉だったのか?」「頼りないんじゃないか?」と疑問に思っていた方は、納得がいくのではないでしょうか。

つまり、桃太郎のお話に出てくる鬼退治に何故「犬・猿・雉(鳥)」だったのかという長年の疑問の答えは、陰陽道(陰陽説などから派生したもの)が関係していたからだということだったのです。

風水的な知識で鬼門や裏鬼門についてもう少し深く考えると、鬼門というのは鬼の入ってくる入り口で、裏鬼門というのは出口というようになります。風水では「鬼門裏鬼門は悪い気が通る通り道」という考え方をしていて、その方位に水回りがある間取りは要注意とされています。

対処方法は簡単で、北東と南西を常に清潔に保ち、観葉植物などをおけばさらに安心です。

風水と陰陽説

風水陰陽説とは、どのようになっているのかを説明したいと思います。

風水陰陽説が当てはまるところは、例えば土地や場所、建物などをみる時に、「陰宅」と「陽宅」というような見方をします。感の良い人はお気づきでしょうが、「家が建ってある場所や近隣に何があるのか?」というのを風水では意識します。

陰宅

風水でいう陰宅とは、墓地がある場所などを陰宅と呼びます。先の陰陽表にあるように墓地は死者の住むところですので「死」に分類され、「陰」が当てはまります。

陽宅

風水でいう陽宅とは、都市がある土地や地域、居住空間などを陽宅と読んでいます。先の陰陽表では「生」が陽に分類されているので、都市や居住空間というのは生者が集まったり、居住しているところ、つまり「生」の場所というところになるので、「陽」に分類されています。

日本に根付いている身近な陰陽説

ここでは、日本で身近に感じることができる陰陽について説明します。

医療での陰陽

世界中で猛威を奮っている新型コロナウイルスや毎年話題になるインフルエンザウイルスなど、様々な感染症などにかかっているかどうかを調べるときの検査でも「陰と陽」が使われていることは、既にご存知ですよね。

その陰と陽がどういう意味合いなのかというところを知ると、なぜ検査の結果に陰と陽を使っているのかが理解できると思います。専門的な医学知識ではなく、陰と陽に当てはめて考えてみるという視点ですので、ご理解ください。

陰性=菌やウイルスに感染していない状態ということですよね。先の陰陽表にある「動と静」「高と低」などを菌やウイルスに当てはめてみます。陰に分類されるのは、静と低になりますから菌やウイルスが静かで熱などを出すことなく体温が低いなどというように考えてみると、陰性=感染していないという結果に納得できるのではないでしょうか・

陽性は陰性の逆なので、もう説明の必要はないと思いますが、一応説明すると、陽性=菌やウイルスに感染している状態。菌やウイルスが体内で「動」になっていて、熱なども高くなってしまう状態。だから陽性=菌やウイルスに感染しているというように考えてみるとぴったり当てはまるのが不思議ですよね。

医療の専門知識がない私が、風水から陰陽説をピックアップし医療の検査結果についてまで述べるのは無礼なことで無責任なことかもしれませんが、ぴったりと当てはまるので間違いではないと思っています。皆様は、どう考えますか?

暦の陰陽

暦やカレンダーに「きのえ・きのと・ひのと・ひのと・つちのえ・つちのと・かのえ・かのと・みずのえ・みずのと」とあるのはご存知だと思います。

これは、「陰陽五行説」にある五行説に陰陽を組み込んだ時にどれが陰陽に当てはまるのかをわかるようにしたもので、上記の「きのえ・きのと〜」などは訓読みで「甲・乙〜」を読む際の読み方での違いであり、どれが陰陽に当てはまるのかというと、「え」がつくものが「陽」になり、「と」がつくものが「陰」になります。この詳しい説明は今後の記事で触れ、紹介していこうと思います。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

日本の風水で、陰陽説がどういう意味をしているのかや陰陽道、陰陽師などについてご理解いただけたのではないかと思います。

まだまだ風水の基本となるものがありますので、今後も、可能な限り、わかりやすく説明していきたいと考えております。

次回の風水記事もご期待ください。

風水で、誰もが幸運になれますように。

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風水の歴史を出来るだけ分かりやすく、そして出来るだけ幅広く網羅するようご紹介しております。歴史上の偉人が、これほどまでに政治や戦に用いた占い・占術はほかには無いでしょう。また皆さんがご存知の風水だけではなく、歴史に裏付けされた学術としての一面もご理解頂けると思います。

映画でも一躍有名になった、”陰陽師 安倍晴明””ですが。実は、風水とは大きな繋がりがある人物でもあるのです。そして、今日の日本における風水、陰陽道、五行説の成り立ちについてもこの記事を読んで頂く事でご理解頂けると思います。

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