占星術と聞かれて、皆さんはどのようなイメージを持たれますか?西洋占星術など聞いたことも無いというような人からすれば、胡散臭い占いに見えるかもしれませんが、星・ホロスコープから未来を読み占う占星術は、紀元前2000年の更に昔から人々の生活に根付いていたと言われています。西洋からインドや日本といった東洋にまで広がった占星術のすべてをご紹介したいと思います。
占いの歴史と占星術の歴史
日常に非常に身近な占いの歴史は古く、遡ると弥生時代の後期、卑弥呼が行った鏡占い、平安後期に行われた亀朴占い(亀の甲羅を焼いて、ヒビの状態で占いをする)、戦国時代の稀代の知将と言われた山本勘助も、戦の吉兆を占う占術や呪術を取り扱う「軍配者」と呼ばれておりました。これも今で言う占いの一つですね。
近代に入っても手相占い、人相占いというのが街中にテーブルをおいて通る人を占っていました。喫茶店にも円形の占いマシーンというものがテーブルの上に置いてあったりしましたね。
そしてテレビ全盛時代になると80年代には泉アツノさんの「こんなんでましたけど~」が流行語大賞に選ばれたり、90年代には細木数子さんの六星占いが一世を風靡しました。
2000年代に動物占いが、手相占い師の島田秀平さん。つい最近ですと、ゲッターズ飯田さん、水晶玉子さんなどが流行ったりしました。いつの時代でも人は未来を知るため、不安を解消するために占いと共に生きてきたと言ってもよいでしょう。
その中で、占星術もバビロニアに天体観測を元とし、紀元前3世紀にギリシャに伝わりバビロニア占星術として発展していきました。今回は色々な占いの中から、、占星術について詳しく取り上げてみたいと思います。
占星術とは!?
占星術は、あまり日本では有名ではないかもしれません。手相占い、人相占い、おみくじや恋愛占いなどが一般的に使われています。
また、正月には多くの家庭で購入される干支・九星・家相学・姓名学・命名字典などで年間を占ってくれる、九星気学により干支・行事・九星別各人の運気の動向を示してくれる神宮館高島暦があったりとあまり日常的に占星術で占いを、という機会はあまりないかもしれません。
また、星座占いと混同されている処もあります。確かに占星術と重なる所はありますが、似て非なるもの、と考えていいと思います。
それでは占星術とは何か、というのを紐解いていきたいと思います占星術とは、生まれた時の10個の惑星の位置によって、性格や特徴、今後の人生の傾向を観る占いです。西洋占星術ではホロスコープというチャートを使用します。チャートは以下の4つから構成されます。
・10惑星(太陽系)
・黄道十二宮(12星座)
・ハウス(ホロスコープを12分割したもの)
・アスペクト(ホロスコープ上での惑星と惑星の角度)
テレビや新聞でよく扱われている星占いは、太陽と自分の星座との関係だけでのもの。占星術は太陽以外の残りの9個の惑星の場所も考慮し、分析していきます。
占星術にでもっとも重要とされるのがバース・チャートという、生まれた瞬間の星の配置です。その人の生まれ持った資質、性格を表します。
ホロスコープを構成するのは、12星座と10惑星です。サインとは12星座の事です。それにハウス、アスペクトを加え、この4つでホロスコープを分析していきます。
西洋占星術の歴史
占星術とは何かをざっくり説明したところで、今度はその歴史を紐解いていきます。
冒頭でもご紹介したように紀元前3世紀からある非常に歴史の長い占いですが、ギリシャだけではなく、世界各地で占星術は取り扱われていました。そこでこの章では世界各地での推移をまとめていきます。
世界四大文明であるメソポタミア文明(紀元前2000年頃)に、今日の占星術の元となった「プロト占星術」があったというのが一般的な解釈です。天体にある星を神々の意志と解釈し、そこから様々な出来事の予兆(オーメン)としてとらえていました。
期限前2000年頃のバビロニア文明でも、オーメンの概念がありました。星の動きを含めた潮の満ち干き、地震や地崩れなどの自然現象を神の意志とする考え方は、メソポタミア文明と同じものでした。オーメンの解釈は、過去の出来事の記録や類似に基づく観念のによるものでした。それらは粘土板に記録されることで、世代毎世代へと伝えられる知識として後世に引き継がれていきます。
後の占星術の原型となる星を基にした占いは、さまざまなオーメンの一部であり、その記録の蓄積のなかから生まれていったのです。このようなオーメンと、天文学で作られた暦が融合し、占星術として完成していったのです。
・形成期
紀元前330年、アレクサンダー大王がギリシャ、エジプト、メソポタミアなどを傘下に加えペルシャ帝国を統一しました。別名アレクサンドロス3世は歴史上敗戦の記録がなく、戦史上最高の軍師と呼ばれています。このペルシャ帝国の中心が今まで息づく占星術のヘレニズム占星術を生み出します。
紀元前1世紀頃には、現在の占星術の基本的な要素である惑星、サイン、ハウスなどを基にしたホロスコープ占星術が確立します。
・衰退期
しかし、ローマ帝国衰退期の中、キリスト教が公の宗教になると、反抗勢力と繋が利があるといわれた占星術は衰退します。そのため5世紀以降、占星術についての動きはこの後何百年もの間、殆ど見られなくなります。
・復興期
占星術が復活したのは12世紀、ルネッサンスの時期です。かつてのバビロニア、ヘレニズムの学問がインドやアラブに引き継がれていきます。
11~13世紀にかけてギリシャ語の占星術の書籍がラテン語に翻訳されます。
12世紀には現在の大学に当たる組織が誕生しますが、そこで占星術は教育科目として採用されます。7世紀の間を開け、占星術は復活の狼煙をあげる事になります。
・第二衰退期
しかし17世紀に入ると、科学革命と呼ばれる科学的世界観の大きな変化が訪れます。コペルニクスを始めとする科学者によって唱えられた地動説はそれまでの占星術の宇宙観(天動説)を間違った考え方として葬り去ってしまいます。天動説と地動説が逆転した事が意外な所で影響をもたらしました。
第二復興期
占星術が再び日の目を見るのは18世紀、科学の力を超えた「超自然」な現象も認めようという考え方が広がった事に起因します。特に「神智学」としての立場を確立し、占いを心理学へと変化させた事は、後に大きな転換点になります。
東洋占星術の歴史
東洋占星術とは、名のとおり東洋で生まれたものを言います。西洋占星術のように一つの形式で行われているのではなく多様な地域による複合体です。東洋で占星術が発達したのは、ペルシャ帝国に近かったインドと、その隣の中国でした。日本では馴染みが浅いのですが、インドと中国の発展の歴史、特徴をお伝えします。
インド占星術の歴史
インド占星術は、なんと5000年前から貴族の間で使われていたというから驚きです。古代バビロニアから紀元前1500年頃に伝わり、暦と繋がってインドで占星術が発展した、というのが定説ですが、紀元前3000年頃に占星術の流れを書いたという説がある為、占いの歴史自体はもっとあるという見方もあるそうです。
インド占星術の特徴
西洋占星術は高度な天文学と共に発達していきましたが、「宿命占星術」という国家の趨勢や戦乱、地震などを見る事に主に使われていたのに対し、インドでは世帯ごとに親しい占い師がいる位、一般世間に広がっていきます。
インド式でも、日時と場所の天体の配置から占断する点は西洋占星術と変わりません。大きな特徴としては、占星術自体がヒンドゥー経と一体化しており、特に「ヴェーダ」を読解する為に習得が必要な知識の1つである事です。
ヴェーダとは、バラモン教の宗教文献の事を指します。占星術はヴェーダを構成する要素の1つという事。ヒンドゥー教の要素のそのまた要素の一つ、と考えると非常にスケールが大きく、理論が構築されている事がわかります。会得しようとすると非常に複雑で、独学で習得するのは難しそうです。
一般的にはジョーティッシュと呼ばれます。このジョーティッシュには4つの種類があります。、
- ネイタル …通常の占い
- マンデーン …国家の問題、災害、飢饉、氾濫、反乱などを占う
- ホラリー …時間や場所をもとにチャート式に占う
- エレクション…特別な催事の時期を占う
インド占星術は非常に的中率が高いです。そして占術の処方の種類も豊富です。占いの星は、12星座、西洋のものと変わらない事です。
日本の占星術は、ほぼ西洋のものであると言えますが、興味のある方は、ぜひ一度体験してみて下さい。
中国占星術の歴史
西洋占星術との違いは、古代中国の「天文学国家独占」にも強く影響を受けている事です。これは紀元前2500年頃、黄帝によって明文化された占星術の手法が、上流階層のみ使われた事に起因します。国家への反乱を防ぐため、秘密裏にされた、という事です。
太陽系惑星5星の観測をメインとする中国起源の東洋占星術は、民間学術において高度な理解度の歴史を持っています。
月の周期を使用する太陽暦は、農業の行方を占う役割があり、曜日は人の働き方を定めた
週間の作業内容を算出する指針となりました。ここから、中国の占いの大きな要因である
「宿曜」を生み出します。宿曜は、月の周期から算出された28の曜日を算出しました。この曜日に
人の運命が関係するというのが、宿曜の概要になります。
宿曜を利用した中国の占術には日本でも有名な四柱推命と、もう一つ紫微斗数という占術があります。
二つとも生年月日を使い、星を読む事で占断する点で共通しています。しかし、実はふたつの存在は対極にあるものです。なぜなら四柱推命が王侯貴族の間で使われたのに対し、紫微斗数は庶民の間で
親しまれて使われてきたものだからです。ここでは、紫微斗数について解説していきます。
紫微斗数の歴史と詳細
発祥は中國であり、紫微斗数の起源は、西洋占星術を中華風に発展させたもので、西洋と東洋の占術の融合といえます。中国や台湾ではポピュラーな占いで、四柱推命に並ぶ知名度を持ちます。
紫微斗数は生年月日と生まれた時間を用いて占います。生年月日を使い占う占術は他にもありますが、
紫微斗数は、出生時刻も大切な要素になるので、必須となります。占って貰いたいのに生まれた時間が分からない場合、母子手帳に必ず書いてあるので、確認してみてください。
そしてその二つから、命盤というものを作成し、それを基に占います。この命盤から割り出された
星を診ていく訳ですが、この星が最大108個もある為、命盤解析はかなり難解で。その為簡単には会得できない占いと言われています。
しかし、解析が難解な分、正確にその人の運勢や相談事を占うことができます。今ではコンピューターの発達により、生年月日を入力すれば簡単に正確な鑑定結果を得る事ができます。
占星術 完全ガイドまとめ
近年、占星術は自己成長のツールと定義され、元々の占星術とは年を経て変化していきました。また、専門的知識が必要であった複雑な技法はコンピューター、インターネットの発達により、占星術はより身近な占いとして占ってもらうだけではなく、独学で占星術を会得する人が、沢山増えていきました。
20世紀になっても、占星術への関心は途切れることなく4000年間、今日にまで至っています。21世紀に入っても、占星術はポピュラーな占いとその地位を保っていく事でしょう。