【風水の歴史】徳川家康が江戸幕府の天下人となった隠された真実!?

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風水」は、運気を上げる方法の1つとして知られていますが、その歴史は、中国から伝わってきたものとして日本で独自の発展をしたものです。【風水の歴史 完全ガイド】では、特に日本の風水の歴史について可能な限りわかりやすく説明していきたいと思っています。まずは、風水というものの歴史を知ることからスタートし、風水が身近になるように知識を深めてみてください。

風水とは?

風水とは、中国から伝わった学問の一つで、目には見えない「気」ということに焦点を当てた「環境学」という立派な学問です。発祥の地である中国から、風水が伝わっていったそれぞれの国によって違いがあります。

これから、中国から伝わった風水が、日本ではどのように発展し、歴史上のどの人物などが関連していることや風水を利用していたことなどを踏まえて、日本の風水をわかりやすく説明していきます。

風水の起源

風水の起源は、古代中国の時代に「気の流れを物によって留めたり、流したりする」という発想からきているようなのですが、詳しい起源がわかりません。「中国四千年の歴史」とよく聞きますが、「風水」も四千年前に発祥したという説もあれば、六千五百年前という説もあります。

現存している文献などに「風水」の内容について書かれていたりするものもあり、その文献を元に起源がいつ頃というようにされているようですが、前述の通り、「気の流れが運気に関係する」ということを発見した中国の聡明な人が掘り下げて生まれたのが「風水」で、非常に長い年月を経て、発展していったものなのです。

風水の語源

「なぜ、運気に関することが「風水」という「風」と「水」を合わせた字を使っているのだろう?」と不思議に思ったことがあると思います。

「風水」というその語源は、「気は風に乗って移動し、水に区切られることでその気は止まる(簡略して説明しています)」ということを書き記した中国の風水師「郭璞(かくはく)」が「葬書」の中に書き記していることが「風水」の語源になっているようです。

この語源をもう少し掘り下げて考えてみましょう。

環境学ということ

これまでの人類の歴史の中で、規模を問わずたくさんの自然災害が起きていますが、自然災害のほとんどは、「風」と「水」だとは思えないでしょうか。「風水害」とも言われているように、「風」の災害と言えば、日本やアジアでは台風ですし、「水」の災害と言えば地震大国の日本であれば、津波や大雨などによる河川の氾濫だと思います。

もちろん他の災害もありますが、「風」や「水」以外の他の自然災害が思いつかないくらいです。その「風」や「水」の災害も科学が発展した現代よりも以前の時代では、原因などが分からず「天(神)の人間に対する罰」などの言われ方をしてきました。それらの対策は、風に関しては木を植えることで防ぐことができたり、水に関しては水路などを整備することで難を逃れることができます。

そのようにして、災害などから居住地や人などを守ることなどに関して、冒頭で述べたように環境学ということが当てはまり、居住地や周りの環境が良くなれば人は幸せを感じ、生活が快適になるという思考が風水なのです。そして、「気」は風に乗って移動するなどの思想があることから、段々と派生していって学問に発展し、今に繋がっているという考えもできるのではないでしょうか。

極端な発想かもしれませんが、「風や水がなければ人の生活に関わるものが全て成り立たない」とも考えられることができるので、人にとって大事な運気を整えたり、上げたりする方法が「風水」となったという解釈ができるはずです。

風水の理論

「風水」は「運気」という目に見えないものについての学問ですので、怪しいと思っている人も多いかもしれません。ですが、占いや神について少なくとも日本人は、生活の中で必ずといって良いほど密接にしているということには気がついていますでしょうか。神や占いを全く信じないという人であっても何か悪いことがあったりすると「運が悪い」と言うことがあると思います。

また、大怪我をしたり、命が助からないかもしれないというような事故や事件などから生還したり遭遇した時にも「運が良かった」や「神様が守ってくれた」というようなことを口にします。

新年には初詣に必ず行くはずですし、お盆にはお墓参りも行くはずです。また、実は間違っている北枕にして寝ると良くないなど方位についての迷信のようなことを気にする人が多いはずです。つまり、人は「運」というものについて、「関心あるなし」「信じる信じない」などに関わらず、常に身近にある運気については良い運気になった方が良いと感じているのです。

古代中国で「気は風に乗って移動し、水があるところで止まる」という思想から、運気というものに関して学問にまで高めた風水は、効果があると感ぜずにはいられません。

「風水」は目に見えない「運気」というものを自分の行動や住環境などでコントロールでき、幸運になることができるということで、実践すればするほど幸運になれる不思議なものなのです。それに「運気」という字にも深い意味が隠れています。それは、「気は運ばれてくるもの」なのが「運気」ということです。

風水のメカニズム

風水は、発祥の国である中国でも流派がありますし、韓国や台湾、日本、欧米諸国など伝わった国によってそれぞれ違いがあるので、メカニズムを説明するのは難しいのですが、世界共通の風水での開運方法は、「掃除」です。なぜ、掃除をすることで「運気」に繋がるのかという説明も難しいのですが、簡単に説明しますと、前述で風水は環境学だと説明しました。

環境が悪いところに居住しているところをイメージしてみてください。環境が悪いというのは、家の中でも外でもという意味です。例えば、家の外にはお墓があったり、廃墟となった建物があったりして更には、家の中が整理整頓などされておらず、散らかっていて汚いとします。そのような家で環境が悪いと感じる場所に住んでいて、「私は幸福だ」と感じられるでしょうか?

家がある場所などは、住んでいる人にはどうしようもできませんので、例えのような環境にある家であれば、尚更、家中を綺麗にしておくべきなのです。他の言い方をすると、家の中が散らかっていたりゴミや埃がある空間に住んでいて、居心地が良いと感じたり気分が良いと感じるでしょうか?これが開運に繋がる風水の世界共通事項なのです。

つまり、人は綺麗なところや整理整頓されているところに居心地の良さを感じ、幸福を感じることができるのです。もっとわかりやすく言えば、人が良いと感じたり居心地よいと感じたりする家や環境であれば、その人は幸運になるということです。実は、風水を実践しようとして、最初から方位を気にする必要はなく、一番最初に方位を持ち出すのは間違いなので注意してください。

風水では、住環境(家の中や外の地形や立地)が大事であり、立地条件などで家の周りが風水的に良くないとされるものがあるとしても、その条件はどうしようもできないことなので、それなら、家の中に目を向けて常に綺麗な状態をキープするべきなのです。風水を実施するということは、家やオフィスなどの自分が関係する住環境などをパワースポットにすることができると言い切っても良いと思います。

簡単な説明でご理解いただけたらいいのですが、掃除されていたり、整理整頓されていたりする綺麗な場所には、「良い気」が流れてきます。ですので、そういう場にいる人というのは、「良い気」に包まれることになりますので、運気が上がるという流れになります。

風水と占いの違い

「風水」と「占い」は同じというように思っている方が、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。簡単に風水と占いの違いを説明すると、占いは「その日限定のもの」で、「すでに運が決まっている」もの。風水の場合は、「運気は、自分の行動次第で快方に向かわせらることができるもの」なのです。

占いの場合、その日のラッキーアイテムだったり、行動だったり、数字などがあったりしますが、風水の場合は、極端な話しでかなり簡略した説明になりますが、家や仕事場などを綺麗に掃除してその状態をキープしていれば、開運グッズなどは必要なく、運気が上がるというのが、本当の風水です。

ですが、開運グッズがあって損することはありませんが、開運グッズを購入したから何もしないで運気が上がるとは考えないでください。風水と占いの違いについて理解できましたでしょうか。

日本の風水の歴史

風水が中国発祥でいろんな国に広がり、それぞれの国で独自の発展をしていることがわかったところで、肝心の日本ではどのようにして風水が広がったのかをみていきましょう。

いつ日本に風水が?

日本に風水が伝わったのは、聖徳太子の時代に百済出身の観勒(かんろく)が持ち込んできました。この観勒(かんろく)というのは百済(現在の韓国)から渡来した際にいろんな文献を持ってきたのですが、その中に風水の文献もあり翻訳されました。そして、観勒(かんろく)は蘇我氏の図らいもあり「聖徳太子」と出会います。

この観勒(かんろく)が日本に来たのが602年頃と言われています。602年は新羅討伐の軍を起こした年でもある中で、観勒(かんろく)が風水や他の文献を書き写し翻訳して広まったのです。

日本でどのように風水が広がった?

観勒(かんろく)が日本に持ち込んだ風水は、「聖徳太子」の目に止まったことから、中国で風水を学ばせるため新たに人を派遣したとも言われています。中国で誰が風水を学んできたのかという正式な情報がないようなのですが、観勒(かんろく)が一番最初に日本に風水というものを持ち込んだことから、日本の風水の歴史の中では観勒(かんろく)が風水を日本に広めたということになっています。

歴史上で風水に関係ある人物や場所とは?

これまで説明してきた日本における風水の起源で、「聖徳太子や蘇我氏」が出てきましたが、他にも有名な歴史上の人物で風水に関係がある人がいます。

徳川家康も”風水”を愛した!?

それは、「徳川家康」です。

徳川家康が天下人になれたのも風水を学んでいた名参謀「天海」のおかげというところがあり、天下人になった徳川家康は、「今後、自分以外の者が風水の知識で天下を取ることはまかりならん」とし、風水を封印したという説があります。

江戸時代は、265年という長期に渡り続いた理由も、風水の知識を全て治世などに活かしたのではないかとも考えられます。

江戸の街というよりも都市として発展したのも風水のおかげというところは、現代では「東京」に名前が変わっても日本の首都であることは江戸時代から変わりありません。考えてみたら、物凄いことだですよね。

そして、もう一つの場所は、奈良と京都です。奈良の平城京や京都の平安京などが作られた時には、風水の知識がふんだんに盛り込まれたと言われています。

奈良と京都は、今でも世界的に有名な観光地ですし、江戸に首都が移る前までは日本の都(首都)だったことを考えれば、風水の力といいますか、実力はものすごいものだとおわかりいただけるはずです。

陰陽師と風水の違い

風水と陰陽師の違いについて少し触れておきたいと思います。

陰陽師は、「陰陽道」を駆使した呪術師ですが、風水とは密接な関係というよりも共通点がかなりあります。

その共通点とは、「陰陽五行説・天文学・暦学・易学」が同じで、さらに陰陽道が伝わった時期も風水と全く同じ時期の飛鳥時代だと言われているのです。

観勒(かんろく)が「陰陽五行思想」を伝えたのが最初とされているので、風水を日本に持ち込んだ観勒(かんろく)が後の陰陽道の礎になったということになります。

陰陽師は、当時の役職の一つでもありましたが、風水の知識を得て風水師になった人が役職を得たとの情報がありませんので、似ている知識や学問などがあっても陰陽五行説や方位、地の利などをチェックしたり鬼門などを導き出したりするというところは、陰陽師も風水も全く同じです。

明治時代に入ると、陰陽道を駆使した呪術師の陰陽師は、国の方針というよりも国が近代(欧米などの西洋文化)へシフトチェンジしたことにより衰退してしまいました。

風水は学問として今も残っているという事実は、陰陽道との大きな違いではないでしょうか。

風水は、呪術は使いませんが、人が幸福になる為の学問は国が規制したりすることではありませんし、今後も衰退することはないでしょう。

都市伝説と風水

ちょっとここからは、視点を変えて都市伝説と風水についてみていきましょう。

山手線と中央線

Mr.都市伝説で有名な関暁夫さんが、東京の山手線と中央線の都市伝説について語っていたのはご存知でしょうか?著書「ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説」の中にも説明されているので、気になった人は是非読んでみてください。

気になるその内容とは、風水の知識がある人や陰陽五行説などを知っている人なら「風水?」や「陰陽道?」と感じるはずです。私も初めてこの内容を知ったときは「風水?」と思いました。

簡単に山手線と中央線の説明をしますと、首都東京に鉄の結界を張っているということなのです。

「結界」と言っているので陰陽道と感じるとは思いますが、風水も悪い気を入れないようにする方法があるのは陰陽五行説などに基づいてますし、それを結界と言い方を変えても同じことだと思うので、その辺はご理解ください。

山手線の線路は楕円を描いていて、中央線とは新宿駅でつながっています。中央線は高尾駅から真っ直ぐ新宿駅まで来ていますが、新宿駅から東京駅までは線路図上では、下に曲がってから上に曲がり東京駅に到着時は下に向かっています。これは陰陽説の太極図の形を成しています。

風水の勉強をしていると陰と陽などについて学び、太極図を必ず知ることになりますが、その太極図と全く同じ図を線路で作っているのです。

そして、中央総武線は成田に向かって伸びていますが、これらは何を意味するのかと言えば、高尾山と成田山からの良い気を皇居に運ぶことなのです。

平城京・平安京

他には当時の都であった今の奈良や京都に平城京や平安京が建てられましたが、その建設の際には風水に基づいて設計され、都市計画などをしたとも言われています。

京都は当時の都。日本の中心であり、今の東京の役割をしていた都市です。現代になっても京都は、日本人だけはなく世界中から観光客が集まる場所になっているのは、もしかしたら風水のお陰なのかもしれません。

東京(江戸)

東京についても簡単に触れておこうと思います。山手線と中央線の話もありましたが、元々、東京は徳川家康が天下を取り、江戸を拠点に幕府を開きました。

徳川家康が風水の知識をフル活用して江戸に幕府を開き、江戸時代が長く続いたことが、現代では日本の首都、「東京」として続いているという事実。

東京という場所を説明するまでもありませんが、日本の中心であり首都。世界でも日本と言えば、「東京や京都」が一番に出てくる都市の名前というところは、風水の影響ではないと考えたとしても、果たして偶然なのでしょうか?

これらは、都市伝説だと思いますか?それとも風水の力だと思いますか?

信じるか信じないかは・・・。

現代の日本の風水

では、現代の日本の風水はどのようなものなのでしょうか?

まず、日本の風水というのは、日本独自で進化し発展したものです。

陰陽五行説をベースにしてはいるのですが、他には「九星気学」と「家相」を取り入れていて、本場の中国とは方位の見方も違います。

日本で独自の進化をした風水は、他の国では違うものになりますので、例えるなら本場が中国なので日本流風水というように考えるといいと思います。

日本に住むからには、日本の風水を実践するべきではないかと個人的には思います。ベースの学問を取り入れても国によって合う合わないがありますし、日本の地形(山や地)に合わせて進化、発展してきた学問ですから、日本に住む日本人に合わないはずがありません。

西洋医学だけでは治せない病気や怪我などが東洋医学で治ったりする様に。そして、欧米サイズの様々なものが日本国内では大きすぎてしまう様に。

日本では日本流の風水の知識を得て、実践する様にしましょう。

日本の有名な風水の先生

日本の有名な風水の先生について、大変恐縮ですがご紹介させていただきます。

Dr.コパこと小林祥晃先生

引用元:Drコパ

日本の風水の先生で有名な先生は「Dr.コパ」先生ではないでしょうか。風水を全国的に広め「金運には黄色の・・・」などもこちらの先生が広めてくれたイメージが強いはずです。

そんなDr.コパ先生は、風水の他にもたくさんの顔を持っていて、建築家や実業家、神主の肩書きも持っていらっしゃるすごい先生です。幼少の頃に川で溺れかかったことがある様で、その際に川の守護神である龍神様に助けられたと直感し信じるようになったそうです。

神職につくなどしていることから開運法に興味があり、研究していたそうで、風水は古代の風水や李朝風水を学び、研究していた開運法に活かしています。

直井由美里先生

「ユミリー」の名称でも有名なこちらの先生は、建築に風水を取り入れたりして独自の理論を確立している先生です。

有名人にもユミリー先生を信じている人が多く、数々の芸能人や有名人との交流があります。

先生と交流などがある芸能人や有名人を列挙します。

横綱白鵬・魔裟斗さん・花田勝さん・藤原紀香さん・市川海老蔵さん・小林麻央さん・はるな愛さん・梨花さんなどと交流があり、結婚のアドバイスや新居のアドバイスなどをされている先生です。

李家幽竹先生

こちらの先生は、韓国の李王朝で王家のために風水を利用する立派な風水師の第19代目という由緒正しい先生になります。

著書は多数あり、「人を幸せにするための環境学が風水である」という考えのもと、風水の普及に尽力なさっている先生です。

著書も多数あり、王朝の為の正当な風水師の先生ですので、その知識などは日本に持ち込まれた元の国からのものですので、風水の勉強をする時には参考にしたい先生です。

林秀靜先生

「おそうじ風水」などの著書で有名な先生ですが、昔から占術などを学び2013年〜2016年の3年間で台湾に留学し、台湾の風水の先生から風水について深く学びます。

四柱推命などと風水を組み合わせたり、不運な状況などをお掃除などで開運に導く方法を説明していることが先生の著書の中で多く、誰でも簡単に風水を実践することができる方法を広げています。

世界の風水

では、世界に広がったそれぞれの国の風水を簡単に紹介します。

韓国

中国から韓国に風水が伝わってから、韓国でも風水を取り入れた都市計画などが行われていて、朝鮮王朝の時代には盛んに風水を意識した都市や街が作られていった様ですが、当時は王朝しか風水を使うことが許されず、一般の民には風水が広がっていなかった様です。

現代では、風水を国全体や国民が実践している国です。

台湾

台湾の風水は、日本とは違うところがありますが、日本よりも風水が生活に密着しています。中国から伝わった風水が台湾では日常生活に欠かせないものとして定着しているので、日本の様に一部の人達に浸透していたりブームになっているものとは違うところがあります。

欧米

欧米に風水が広がったのはつい最近のようです。中国人が欧米に渡るのと一緒に風水も欧米に流れていった様で、徐々に風水が広がってきたことから、少しずつ取り入れられる様になってきています。

建築やビジネスに風水の知識などを取り入れることが増えてきている様です。

欧米では「風水」は「Feng Shui」と呼ばれています。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

風水を知るきっかけに今回の「風水の歴史」、特に日本での風水の歴史が役立ってくれればと思っております。

風水は、何一つ難しいものではありませんし、誰でもできる身近な開運法です。

都市伝説の様に言われていることも風水(陰陽五行説などを利用した陰陽道など)で使われている知識が影響していることを考えれば、実践して損をすることはありません。

もし、風水に少しでも興味が湧いたら、是非、実践してみてください。

風水を信じて実践した人には、必ず、幸運の方から実践したあなたに近づいてきてくれますから。

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