四柱推命の起源

中国の古代王朝である殷王朝の中頃、都のあった河南省安陽付近からは亀の甲羅や獣骨に刻まれた文字《甲骨文》が多く発見されました。

四柱推命の起源は遥か昔、紀元前1400~1300年に使われていた、この甲骨文にあると言われますが、元々の根っこを辿っていくと、その母体は陰陽の原理が生み出された中国古代の伝説上の図や文字である『河図』や『洛書』に行きつくように思われます。この『河図』や『洛書』は陰陽五行の他、八卦や風水の術数である『理気』の起源ともされます。

現代に至るまでの間、この学問は大きな発展を遂げていきますが、『河図』や『洛書』にある陰陽の原理から甲骨文に記されている五行説の源が今現在の四柱推命を形作る大きな基盤となっています。

四柱推命発展の過程

戦国時代~漢~随・唐の時代

その後、約千年の時を経て戦国時代となった中国(紀元前475年~紀元前221年)では、五行説と同様に四柱推命を形作るのに必要な相剋五行説が鄒衍(すうえん)によって考え出されました。

約200年後の前漢の時代(紀元前206年~8年)の末期、儒学者かつ科学者であった劉向(りゅうこう)と劉歆(りゅうきん)父子によって相生五行説も唱えられ、この頃から暦においても五行の考え方が採用されるようになりました。

『河図』や『洛書』、そして甲骨文から始まった陰陽説と五行説は、漢の時代において四柱推命の柱となる陰陽五行説として成立しました。

漢の時代においては、その他にも董仲舒(とうちゅうじょ)、司馬季主(しばきしゅ)、東方朔(とうほうさく)、厳君平(げんくんぺい)などが代表に挙げられます。

そこから更に数世紀を経た隋の時代(518年~618年)及び唐の時代(618年~907年)には魏澹(ぎたん)、袁天綱(えんてんこう)、李淳風(りじゅんぷう)、一行(いちぎょう)、李泌(りひ)、李虚中(りきょちゅう)など、この学問に精通していた者によってその原型がようやく作られていったと言われます。

四柱推命発展の過程においては、『四柱推命』という呼び名での原書は見当たらず、唐の時代以前では文献の多くが散逸し秘伝とされてきましたが、特に四柱推命の基は、唐の時代の大夫李虚中(りきょちゅう)によって作り始められたとされています。

李虚中(りきょちゅう)の死後、同じく唐の時代の大学者であった韓愈(かんゆ)により『殿中侍御史李君墓志銘』が執筆され、李虚中(りきょちゅう)の業績を仰ぎ特出した能力を讃えました。現代の四柱推命の原型となる四柱八字に通じていく、年・月・日による三命は李虚中(りきょちゅう)により形作られ、その後呂大夫(ろたいふ)がその流れを受け継ぎ、やっとそこから四柱推命(命学)の祖である徐居易(徐子平)が登場する訳です。

四柱推命(命学)の祖 徐居易(徐子平)

宋の時代に除居易(徐子平)という占術師が『珞ろう子三命消息賦注』を執筆し、この徐子平が命学の祖として今日では知られています。

徐子平の成しえた業績では、年・月・日による三命に時刻を加えて四柱八字としたことが最もよく知られており、更にそれまで年干を主体としていた形から日干を主体にした形にまで引き上げ、今日の四柱推命に繋がっていく推命の形にまとめ改良をしました。

その後、同じく宋の時代に徐大升が『淵海子平』という徐子平の名前を付けた本を執筆し、この学問を発展させていったと言われています。『淵海子平』は四柱推命を体系的にまとめた第5巻まである初めての著作集となり、今日の四柱推命学の原典の一つとされています。

宋の時代以前においては、四柱推命は一般的に『八字』と呼ばれていましたが、前述してきましたように徐子平がこの八字の体系を整え創始者となったところから八字は『子平』と呼ばれるようになります。

宋の時代以降、徐子平が現れたことで、それまでの文献は整えられ後世に引き継がれていくことになった訳です。

四柱推命のそもそもの始まりには、このように『子平』と密接に関わりがあり、その母体にもなりますが、一般的に知られる現代の四柱推命と、あまり世間にまだ認知されていない子平とは別のものです。

今でこそ四柱推命は日本の中で誰にでも広く、そして親しみやすく知られるようになりましたが、その母体である中国の学問の『子平』は、元々は国を統治するために、誰をどこに配置したら、より自分の国が豊かになれるかを決定するために用いられていた大変貴重かつ人には知られたくない秘伝の学問です。

物事の道理を追求していく格物致知の学問には多く種類があって、物事を何の分類で見ているのか、物事を分けることにより知に至るとされます。

『子平』も『四柱推命』も、このような分類の学問であることに変わりないのですが、今現在日本で広く使用される四柱推命は、その母体である『子平』から見ると、かなり分かりやすく簡略化されたものであるという見解があります。単純に四柱推命は統計学であるという認識が広まったのも、だからこそ間違いではありませんが、その裏側にはこういった事柄が理由としてあるのではないかと思われます。

易哲学と四柱推命

易学の世界では、人が社会生活を送るうえでの一般的な決まり事である『倫理』と物事の法則的な繋がりである『論理』の2つの要素があります。宋の時代(960年~1279年)においては、易学の『論理』の分野が発展し最盛期を迎え、周子、邵子、張子、朱子の四子から織り出された学問が代表となって広く知られるようになります。

四柱推命が作り出されていった時代の背景には、基礎としてこうした中国の哲学的な思想や易哲学が大きく密接に関わっていて、今現在広く知られ分かりやすく簡略化された日本独自の四柱推命と、根底の部分で深く繋がっています。

宋の時代~明の時代

転機となる宋の時代を経て明の時代(1368年~1644年)には、軍師でもあり政治家でもあった劉基(劉伯温)が『滴天随』という四柱推命の本を執筆しています。

他にも同じ明の時代には、張神峯(張楠)による『神峯通考・命理正宗』、萬民英(萬育吾)による『三命通會』、沈孝瞻の『子平眞詮』などが著されました。

その後中国においては、清の時代(1616年~1912年)に陳素庵による『命理約言』、沈孝瞻(ちん・こうせん)による『子平眞詮』などが代表となり、星曜系と干支系の占術の文献を集成した百科全書である『星平會海全書』も書かれました。

更に袁樹珊(えん・じゅさん)による『命理探原』、徐楽吾(じょ・らくご)による『子平粹言』などが書かれ、原書は注釈されて次第にその体系を整えていきました。

中国から日本へ

日本には江戸時代(1603年~1868年)中期に『淵海子平』が中国から渡来、文政年間(1804年~1830年)に仙台の儒学者である桜田虎門によって『推命書』という名称で『淵海子平』の訳本が書かれました。一般的には、『淵海子平』『三命通會』『滴天髄』を三書と呼び、これらが四柱推命学の原典とされています。

現代の四柱推命

四柱推命をはじめ、そもそも占うという行為には、地震や津波など自分の力ではどうすることもできない自然の法則や環境を司る『法』の範疇と、自分の入っているグループを指す『義』の範疇と、自分の行っていることや思っていることを表す『業』の範疇があり、それは全体をひっくるめて因果となっています。

この因果をみるのが占いで、基本的に占い師が鑑定をする場合は、『業』の範疇の中での作業となりますから、その人の生まれや自分の両親の因果は当然のことながら大きなウェートを占めます。

占いには多くの種類があって、人を占る方法により何に特化してみれるのかが異なってきますが、四柱推命は特に自分の行動によって、人との関係の中でそれがどれだけ良くなれるかをみることができる占術です。『命式』からその人の持つ業を知り、命を知って、自分からいつも積極的に人生の抜本改革をしていくことが、幸せな人生を送るためには重要になってきます。

四柱推命とは知命ということ

また四柱推命とは、一言で言うならば《知命》ということです。自分自身を知ることで命の運び方を理解し、改めるべきところは改めていくことで将来をより豊かなものにしていくための学問です。この世に生まれてきた全ての人々は、この世界でその人だけにしか成しえないことがあり、例え誰であっても生まれてきたことの意味が、必ずあります。

この学問では、生年月日及び出生時間から割り出された『命式』を基に、その人自身の持つ命を知ることができます。元々物事を成しえるだけの力量が果たしてあるのかないのか、また力量が少ない場合においても、どういうふうに考え言葉し行動したら良いのかを読み解いていきます。《知命》とは、身の程をわきまえ至らない自分を自覚して、日頃の考え、言葉、行動を整えること。そして幸せになるために自ら何度も努力していくことです。

中国三千年の歴史に育まれた四柱推命の進化

現代における四柱推命では、占者によって『命式』から読み取る鑑定の結果にかなり違いが生じるように言われています。これは先にお話ししてきたように四柱推命が発展してきた過程において、その背景となっている中国の哲学的な思想や易哲学を理解しているのかどうか、そして四柱推命の母体となる子平についての知識があるのか、全く知らない状態なのかに大きく関わってくるように思われます。

中国の壮大な歴史の中で生まれ日本に渡ってきた四柱推命には、まだまだ解明されていない事柄も多く、今日においても研究の対象となっている訳ですが、古くから受け継がれ、また進化し改良された姿にこれだけ多くの人たちが魅力を感じるのは、先人の方々の大きな苦労や努力があってからこそ成しえたものだと思われます。現代まで受け継がれてきた文献や、その情報が大事に扱われ、より多くの人たちが、この世に生まれた自分の命を知り、幸せと共にあることを願ってやみません。

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