西洋占星術(ホロスコープ占い)完全ガイド – 歴史・起源と鍵を握るカルデア人の偉業

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西洋占星術(ホロスコープ占い)とは、10惑星と12星座からなる天体を観測・計測し、個人の未来、性格や社会現象までを予測するためのツールとして古来から現在まで発展してきました。占いを好きな方なら、ホロスコープ占い・西洋占星術や12星座からなる星占いを好きな方も多いのではないかと思います。

現在ではややスピリチュアルな観点から、占星術を活用されがちですが、古来から現在まで続く天文・統計学です。こちらのブログでは、主に西洋諸国(アラブ諸国や西洋諸国)で発展してきた「西洋占星術」の歴史と占星術について解説していきます。

西洋占星術とは?

占星術(アストロロジー)とは?

占星術にも東洋占星術(四柱推命・五行陰陽説風水など)や西洋占星術(ホロスコープ占星術)など種類がありますが、占星術(アストロロジー)とは、天文学上の理論と観測技術のよって導き出された天体の運行状況から、地上で起こる現象を追求していく天文学です。

古来の天文学では占星術師が太陽系の星々を観察しある法則を整理し、計算や理論を使って地上で起こる現象を説明しようと試みてきました。それは作物を植える時期や収穫の時期を予測することに生かされたり、国家の政治経済の予測や反乱の時期の予測にも利用されてきました。

古来の日本では、陰陽師が天地の気学や暦学を読むことで国家政権へのアドバイザーとしての役割を司っていたように、アストロロジャーと呼ばれる西洋占星術師たちも、国家のアドバイザー的な役割を持ち、ホロスコープを用いて政治的な運気の流れや時には戦争や反乱の時期のなど未来予測を立てていく、そんな働きがありました。

古から伝わる占星術は、真面目で洗練された研究・実践でありましたが、近代科学の発展に伴い衰退していくことになりました。現在では、個人の未来や運気を予想する占いとして、個人生活の身近なツールとして親しまれています。

西洋占星術(ホロスコープ占い)とは

西洋占星術(ホロスコープ占い)とは、実際の天体の配置で運勢や性格を占うことができる占星術です。本人の出生地を観測地点として、地球から見た惑星がどの配置にあるかをホロスコープと言われる出生天宮図を図に表したものです。

西洋占星術で意味する天体=星とは、太陽と、その周囲に存在する太陽系の10惑星(水星・金星・地球・火星・木星・土星・天王星・冥王星・海王星・)と月をさし、さらに天体上の地球の周りを通る黄道に広がる12星座(牡羊座・牡牛座・双子座・蟹座・獅子座・乙女座・天秤座・蠍座・射手座・山羊座・水瓶座・魚座)、黄道12宮のことを示します。

遥か昔、宇宙の始まりのビッグ・バン(宇宙創成の大爆発)から宇宙空間に銀河や太陽系惑星や地球が作られました。人間や全てのありとあらゆる生物や無生物も、その宇宙を構成している元子により存在しています。そのことから、アストロロジーは人間を宇宙的存在としてとらえます。

地球上の外側のどこまでも広がる空間を大宇宙(マクロコスモス)と例えれば、地球上のあらゆるものを小宇宙(ミクロコスモス)と例えることができるでしょう。過去数十億年を見ても、地球上で誰一人として同じ人間が存在しないように、宇宙という空間の中で、これまでの一瞬も全ての惑星が過去にあった惑星と同じ配置を作ることはありませんでした。

占う特定の人物や対象の誕生の時に、どの惑星がどこに配置されているかをホロスコープを見ながら予測立てていくための図というとわかりやすいでしょうか。

西洋占星術とは、ある人の誕生からの惑星の位置とそこからの惑星の動向をホロスコープに図式化したものを元に、個人の性格や未来の運命を、占うことができる主にアラブ諸国や西洋諸国で親しまれてきたホロスコープ占星術のことを示します。

西洋占星術(ホロスコープ占い)の歴史

西洋占星術(ホロスコープ占い)の起源

西洋占星術の発祥地は、チグリス川とユーフラテス川の流域に広がるメソポタミア地方と言われます。紀元前2000年ごろのバビロニアでは黄道12宮が考案されいると言われており、古代エジプトでもクレオパトラ7世時代のデンデラ・ハトホル神殿に残された円形天体図が発見されており、円形天体図には、星とともに、黄道12宮も描かれています。

ただし、いつ頃存在したのか正確なことはわかっていません。また、占星術は、暦の概念から発達しています。当時は農耕文明が発展した時期でした。大河流域を生息地としたのメソポタミア地方に住む人々にとって、種まきや収穫の時期など知ること、星や惑星の動きを観察し、季節を計算する暦という概念はとても重要だったからです。

エジプトでは1年のスタートを12月から、ひと月を30日とし、それに5日の祭日を加えた365日で構成された太陽暦を推奨していましたが、長い年月の間に暦と季節の時期がずれることがわかってきました。そのため、ナイル川の増水を告げるタイミングのシリウス星と太陽が東の空に出現する時を夏至とし、1年の長さを決めていました。

それに対してバビロニアでは、朔望月を基にした太陰暦が使われていました。1ヶ月のスタートを新月が日没にかかる時とし、その時間から1ヶ月の長さを決めていました。そうすると、太陰暦では1ヶ月が29日か30日となり、1年では354日になってしまうのです。

それでは365日に足らず、1年の計測がずれてしまうということで、ある特殊な星が日の出に出現する時を見て1年の長さを年初とし、1年の長さを決めることにしました。馭者(ぎょしゃ)座の1等星カペラとも、牡羊座のアルファ星ハマルとも言われています。

春分の頃に東の空に太陽より先に出現するこの星を、バビロニアの正月『春分正月』と定めたそうです。これは現在の占星術が春分の日を年のスタートの日とする起源と言われています。バビロニア帝国は、シュメールとアッカドに分かれていましたが、後にハンブラビ王によって統一されます。

紀元前7世紀、ネブカドネザル王朝に繁栄し、紀元前539年にペルシャのクセルクセス王によって征服されました。バビロニア帝国は2000年の歴史を栄え、そして滅びました。

黄道12宮の発案、カルデア人の偉業

バビロニア帝国で天文観測に従事していたのはセム系遊牧民「カルデア人」の哲学者たちです。彼らは知識水準がとても高く、占星術や天文観測技術だけでなく、数学・薬学・医学・建築学など様々な知識を持ち、バビロニアでは聖職者の階級を持っていました。

カルディア人が特に精通していたのは天文学と数学で、カルデア人は1900年もの間の天体の観測記録を残していたと言われています。カルディア人は月の一日の平均運動速度を13度10分35秒と定め、新月スタートで始まる朔望月が29日12時間44分毎に起こることを算出する技術を持っていました。

また、恒星の動きを観測し、1年の長さが365日と6時間11分であることを確認しました。太陽や太陽系惑星が、常に一定の軌道を通ることに着目して、黄道や黄道12宮を設定したのはカルデア人です。

カルデア人たちは天体の動きを観測し、その動向を地上で起こること柄に関連づけて考え、学問として体系立てていきました。そして、彼らの宗教的な根本の価値観がその思想として反映されました。古代バビリニアの思想は、人間の生活と惑星の動きの間に存在する因果関係を認めていました。

惑星は神の性質や特徴を持ち、神の意志が星々の動きに反映され、啓示されると考えました。占星術は、気象天文学の域を超え、国家の運命や農耕の時期を予測するために利用されていました。個人生活のために占星術が用いられるようになるのはさらに後世のエジプトにおいてです。

西洋占星術(ホロスコープ占い)の歴史

紀元前539年、バビロニア帝国はペルシアのクセルクセス王によって滅ぼされますが、クセルクセス王はバビロニアの文明を保護したため、占星術は伝承されました。紀元前330年にはペルシア帝国から東方大遠征によりマケドニアのアレキサンドロス大王が勝利を得ます。

アレキサンドロス大王は東方の文化とギリシャ文明を融合させて新世界文明を創造することに生涯をかけましたが、マケドニアの地を踏むことはなく遠征先で死去されます。彼の夢は実現しませんでしたが、この大遠征で東方の文明をギリシャにもたらし、エジプトのアレキサンドリアに占星術・暦法・哲学・幾何学・自然科学など、古代科学が継承されました。

この時代には春分点と歳差(恒星年と太陽年の差)を発見したギリシャの天文学者ヒッパルコスや、カルディアの占星術をギリシャ語に翻訳した神官のペロッソスがいます。彼はアストロロジャーの育成や占星術の継承に貢献しました。その後も天文学者のプトレマイオスによって、テトラピプロスという占星術の規範が記された著書がラテン語やアラビヤ語に翻訳され、広範囲へ流通します。

その後、ローマに持ち込まれ民衆の間でも大流行します。占星術師はローマ帝国でも大活躍しますが、反異教主義のキリスト協会が古代ギリシャの文献を禁止したためとも言われていますが、次第に迷信のようなオカルトじみたものと扱われるようになり、500年ほど衰退します。

その後、占星術が注目されるのは1100年戦後からの十字軍遠征によって、ルネッサンス文化が注目されたことが要因となりました。さらに13世紀に渡ると聖トマス・アクティスが唱えた宇宙観がキリスト教の教えに融合され、中世の後半は占星術が再び注目されます。

また、当時の占星術師の中には、ノストラダムスがいます。ノストラダムスは中世期まで巡回医としてつとめ、当時流行っていたペストの撲滅に尽力していました。やがて、王妃の耳に噂が入り、彼女の息子たちの王位継承問題の予言を行いました。

彼は、「諸世紀」という書記が代表作ですが、1999年、世界規模の大戦争が起こると予言したのは有名です。
17世紀には天文学と占星術の分離が始まり、18後半から19世紀初期にかけての産業革命と科学の発展によりさらに天文学との分離が促されました。

そして、時の権力者に信頼された一部を除いては、占星術は非科学的な迷信として衰退するかのように見えました。しかし、第一次世界大戦からの世界大恐慌などに暗雲が漂う時代、再び占星術がフォーカスされることになります。さらに、ヒトラーの顧問占星術師でもあった。

カール・エルンスト・クラフトは、数理統計学を占星術に長けた人物であり、クラフトの占星術に対して、連合軍側がユダヤ系ハンガリー人の占星術師ルイ・ディ・ウォールを雇い、ナチス攻防戦に占星術で対抗していたという都市伝説もあるほどです。

そして、20世紀から21世紀の現代にかけての占星術は科学的な観点から統計学の技法を用いた科学的な占星術が認知され始めました。占星術の心理的な側面に注目して心理学者のユングが人間の無意識の衝動が惑星の特性に酷似していると残しています。

現在は個人の運勢や性格、また運命を知るために用いられるツールとしてなじみ深いものとなりました。時代は2020年に移行し、宇宙と人間の意識が再び絆をつなぎ直す、破壊と再生、目覚めと分岐の時代に突入し、新たな文明が誕生するそんな時代に突入しました。占星術も占星学となり、新たな価値を見出していくのかもしれません。

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