手相占い、皆さんは手相を占ったことはありますか?手相に興味はあるけど、実際に鑑定料を支払って本格的に手相占いをしたことがあるという方は意外と少ないのではないでしょうか?とはいえ、お笑い芸人でもある【島田秀平】さんや【ゲッターズ飯田】さんなど有名人の力も手伝って今では知らない方はいない人気占いの1つではないでしょうか。
そこで今回は、興味はあるけど詳しく知らないという方から鑑定してもらったことがあるけど自分でも手相占いについて深く知って勉強してみたいという方にもより詳しく知って頂くために、手相占いの発祥の地や手相占いの歴史について詳しく解説付きでご紹介します。
少しだけ文量が多いですが。最後までお付き合いください。途中で英語の文献などもご紹介しておりますが。気になるところだけを掻い摘んでご覧頂ければと思います。
手相占いとは?
現在、占いには様々な種類の占いがあります。その中でも「手相占い」は数ある人気の占いの中の一つになっています。では手相占いとはどのような占いでしょうか。手相占いとは、手のひらにある「掌線(しょうせん)」と膨らんでいる部分の「掌部(しょうぶ)」などに着目し、性格や健康、運勢の良否を判断する占いのことを言います。
手相占いの発祥の地はどこ?
手相占いが、どこの国で生まれた占いかご存知でしょうか。実は手相占いの発祥の地はいくつかの諸説があります。その諸説をいくつかご紹介します。
・古代インド発祥説
手相占いが誕生したのは約3000年前から5000年前の古代インドから誕生しました。昔のインドでは「サムドリカ」と呼ばれる学問がありました。サムドリカとは「人間の人体にはその人の運命が刻まれている」という思想から生まれた学問です。現代にある占いの中で、手相占いや人相占いのルーツは、この「サムドリカ」が始まるであるとされており、手相占いの発祥の地は古代インドの地という説が一番有力です。
・中国発祥説
手相占いには「西洋手相」と「東洋手相」の2種類が存在します。日本へ一番最初に伝わってきた際、仏教と共に東洋手相が伝わってきました。中国には孫子や孔子など、現在の経営や仕事に大きな影響を与えた人物の出身地として有名な地です。そういった理由から、手相占いは中国発祥という説がありますが、あまり信憑性は高くありません。
手相占いの起源
古代インドで手相占いが発祥
手相の歴史は古く、その起源にも西洋から東洋まで諸説がありますが、現段階で最も信ぴょう性が高いのが古代インド発祥説です。さかのぼること5000年、紀元前3000年の太古の昔、隆盛を誇ったインダス文明の時代の話です。
新しい時代の行政や文化を「文明」まで進展させた知的水準の高い当時のインド人、彼らは人間の運命が体の様々な箇所に刻まれたシワと強く結びついていることに気づきました。眉間にシワがある人はこんな運命が・・・足首にあるシワにはこんな運命も・・・肘のシワは・・・首のシワは・・・とつぶさに観察した結果、関連性を見つけたのでしょう。
知的好奇心が旺盛な彼らは研究を進め、これを「サムトリカ」と名づけ、体系づけたのです。その後も調査を続けると、彼らは体の部位によって関連性の強弱があることを感じ取りました。『膝や足首のシワはそこまで運命を左右しないが、顔のシワは運命への影響が大きいな』などと違いが分かるようになったのです。
そして研究の果てに最も相関が強い部分を「発見」しました。それが「手」だったのです。手のひらにあるスジが体のどの部位よりも複雑でくっきりと刻まれ、人それぞれ実に個性的であることに気づいた彼らは、手の研究をサムトリカとは別に「ハストリカ」と名付け、体系づけました。これが現代まで続く手相の歴史の始まりと考えられています。
手相占いが発祥したとき、世界や日本はどんな時代だったか?
今から5000年前、紀元前3000年の時代は原始的な生活から文明的な生活へ切り替わる過渡期にありました。現在の様な流通網や情報網はもちろんなく、各地域ごとに独自の社会が、出来ては消えておりました。
もちろん文明レベルの発展具合にも格差があり、現代まで続く社会の礎を築いている地域もあれば、まだまだ原始的生活から抜け出せていない地域もあり、ひとくくりでは語れない時代です。そんな太古の昔の中でも繁栄をしている地域はあり、中東に築かれたシュメール都市文明や古代ギリシャのエーゲ文明が代表的です。
これらの文明では宗教はもとより数学や文学、美術や天文学も進化を重ね、文化的にも繁栄をしており、最初期の戦車もこの時代から使われていたと考えられます。このように文明を作り上げている地域がある一方、日本の発展はやや遅れを取っており、いまだ縄文時代のさなかにありました。竪穴住居に暮らし、山や海に狩りに出かけ、土器を用いて食事する、まだ原始的生活に近い生活にとどまっている時期です。
地域によって千差万別な発展度合いを見せる5000年前の世界、この時代に現代まで続く手相の礎は築かれていたのです。
【手相占い】世界への伝播
いち早く手相占いが普及した東洋ルート
5000年前にインドで生まれたと言われている手相は、約2000年前、1世紀に仏教とともに中国に伝わりました。当時の中国は古代王朝、後漢時代。科学技術が発達した時期であり、製紙技術が改良され文化の伝達速度が急加速した時代です。
シルクロードを経て中国に伝播した手相は、中国が統計学に基づきその歴史の中で作り上げ、政治にも利用された東洋思想の原点「易経」と絡み合い進化を遂げます。
製紙技術の改良のおかげで情報伝達が容易になった中国で、手相は瞬く間に当時の知識層に研究され「東洋手相術」として昇華されたのです。
紆余曲折の末、手相占いが浸透した西洋ルート
翻って西洋ではスムーズな浸透が出来ませんでした。それは当時ヨーロッパを支配していたカトリックの教えに反していたためです。カトリックにおいて人間の運命は、神と人間との間で開かれていくものとされており、神でも人間でもない第三の要素によって未来が決定づけられる占いは、到底認められるものではなかったからです。
こうして長い期間、歴史の陰に追いやられた手相ですが、19世紀になってようやく日の目を見ることとなります。フランスから生まれた『デバロール』や『ダルパンチーニ』などの手相研究家が、手相占いの礎を作った後に登場した『キロ』は、インドでの2年間の修行の成果を当時の著名人たちに見せ、そのあまりの的中率の高さで西洋に手相革命を起こします。
彼の本も大衆に広く支持され、もはやカトリックの弾圧もなんのその「西洋手相術」は、ついにその地位を確固たるものにしたのです。
日本への手相占いの伝来、移り変り
インドから中国に手相が伝わってからおよそ700年、8世紀ごろについに日本にも手相が伝来されました。東洋思想の源流である易経とともに海を渡った手相は、当時の権力者に知られ、限られた人たちの中でゆっくりと広まっていきました。
権力者と大衆で情報格差があった時代のため、長い期間一般的にはなりませんでしたが、伝来から1000年後、江戸時代の後期に『水野南北』の『南北相法』により、ようやく庶民の知るところとなったのです。
しかし、このとき広まった「東洋手相術」はその100年後、大正時代に衰退します。ヨーロッパから到来した「西洋手相術」が手相の主流に成り代わったからです。「大正ロマン」が表現する通り、この時代は西洋文化の模倣が時代の潮流だったため、この移り変わりは必然だと言えるでしょう。
日本へ伝わったのはいつ?
手相占いが日本へ伝わったのは、いつごろなのでしょうか。
・平安時代に貴族を中心に伝わった
手相占いが日本へ最初に伝わったのは、平安時代と言われています。中国から仏教と共に伝わってきました。当時、手相占いは貴族の人たちを中心に広まり、陰陽師も手相占いを使用するようになったと言われています。平安時代に伝わったときでは、庶民にはまだ広まっておらず、階級の高い人たちの中でしか使用されることはありませんでした。
・江戸時代後期には庶民も親しめるようになった
平安時代に日本に伝わった当初は、階級の高い貴族でしか使用されませんでした。ですが江戸時代後期で庶民にも親しまれるようになります。中国の陳希夷(チン キイ)が宋の時代に著した「神相全編」が江戸時代に日本へ伝わり、それを日本人に分かりやすくまとめたのが「水野南北」という人でした。それが庶民にも広まり、手相占いは多くの人に広まっていきました。
手相占いの各所での発展
東洋手相術としての確立
一般的に手相占いと言えば「手のひら」を見せて、刻まれた線の意味を紐解いていくものですが「東洋手相術」では「手の甲」をまず鑑定します。これは手の甲から運命を知るためです。手相は手のひらにとどまらないのです。
中国で発展を遂げた「東洋手相術」はあくまで人相学の延長線上にあり、手のひらばかりではなく指先の爪まで満遍なく鑑定するのが特徴です。手はそれのみ単独で存在するのではなく、体から伸びている腕の先にある人体の一部分と言うように考え、鑑定する部位を集約しないのです。
この「東洋手相術」の考えは、手相が教えてくれる運命の対象にも広がっています。「西洋手相術」では本人の才能や恋愛運など個性について言及する診断が多いですが「東洋手相術」では、その人を取り巻く家族や組織の総合的な運勢を教えてくれます。これもまた『人はそれのみ単独で生きているわけではなく、家族などより広い繋がりの中で存在している』という東洋思想の影響を受けているためです。
西洋手相術としての確立、日本での普及
日本で普及している手相占いの99%はこの「西洋手相術」です。統計をデータとして科学的に解析して生まれたこの手相術は、現代的で理解も容易です。
「西洋手相術」では「東洋手相術」とは反対に個人的資質を重視した手相術です。生命線や結婚線、知能線などなじみが深い手相の用語は全て「西洋手相術」のものです。自分はどういう人間なのか、自分にどんな運命が待ち構えているかなど、個人を尊重する西洋ならではの視点が見て取れます。
大正時代の少し前から西洋の文化を取り入れ始めた日本、先進国へと成長していくために身に着けた合理的思考は、客観的で分かり易い「西洋手相術」の普及に一役買ったのかもしれません。
現在では人気の占いの一つに
手相占いは、タロット占いと同じくらい人気の占いの一つになっています。テレビや雑誌でも取り上げられたりするようになり、手軽に手相占いができるようになりました。ネットでも検索すれば気軽に占い師のところへ行かなくても、自分の手のシワを見て判断できます。気になる方は占い師の元へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
手相占いが当たる理由
何故手相占いは、相手の手を見ただけでその人のことが分かり、占いが当たるのでしょうか。そもそも手相占いは「手」だけ見ているわけではなく、手のシワや指や爪の形など手の全ての部分を見ています。人間の手にはたくさんの情報が刻まれています。日常的に使用する手には、その人の全てが表れているのです。
手相占いで分かること
手相占いをすることで、一体その人の何が分かるのでしょうか。簡単にご紹介します。
自分自身の性格や資質
手相占いではその人の性格や資質が分かります。右手と左手で意味が違ってくるのをご存知でしたか。右手は後天運と呼ばれ、生まれ持った運勢を指します。右手を見ることで、過去の自分の行動や現在の今の行動が分かります。更に、自分の未来を知りたい場合は右手を見て貰うと良いでしょう。左手は先天運と呼ばれ生まれ持った運勢を指します。自分の生まれ持った宿命、才能、性格が左手を見ることで分かります。結婚時期や社交性なども手の手相を見るだけで判明します。
運勢の良否が分かる
手相は未来を予測するというより、今の運勢や今後の運勢の良否、自身が生まれ持った宿命とは一体何かを占うものです。なので、それを元に今後どのように過ごすかに焦点を置くようにしましょう。婚今は運勢があまり良い方向に進んでいなくても、手相は変化していくものなので、運勢を変えることが出来ます。
東洋手相と西洋手相の違い
手相占いには「東洋占い」と「西洋占い」の2種類があることを知っていましたか。日本の手相占いは「東洋占い」がベースとなって現在に至っています。ではこの2種類の違いとは一体何でしょうか。
東洋手相とは
中国から仏教と一緒に日本へ伝わってきたのが「東洋手相」です。東洋手相は運命を見るだけでなく病気を診断する際の手段としても使用されていました。東洋手相は手のひらではなく、手の甲を見て占います。「男性は左手で、女性は右手」を見て判断するといわれています。
西洋手相とは
西洋手相はギリシャ・ヨーロッパを経て伝わった手相占いの一つです。現在の日本で使用されている手相占いは西洋手相がベースになっています。日本に西洋手相が初めて伝わったのは明治時代から大正時代とされており、それまでは東洋手相が主流でした。西洋手相は手のひらにあるシワやふくらみでその人の運勢を占うことが出来る占いです。
女性の手相占いで人気な恋愛線とは?
手相占いで占って貰う際、特に女性の方であれば一番占って欲しい線といえば恋愛線ではないでしょうか。そこで自分でも簡単に判断できる、重要な恋愛線をいくつか紹介します。
まず手相に恋愛線があるか確認!
まず恋愛線が手相のどこの位置にあるのかといいますと、感情線と生命線を横切っている線があったら、それが恋愛線です。右手の恋愛線は「現在と未来」を指しており、現在の状況とこれからのことが判断できます。左手の恋愛線は「生まれ持った運勢」を指しており、生まれ持った自分自身の恋愛運を見ることができます。
恋愛線が長いと愛情がとても深い人!
生命線まで長く伸びている恋愛線がある人は、とても愛情深い人です。好きな人やお付き合いしている人に対して大きい愛情を持って接することができるので、今の恋愛が上手く行くことを指しています。更に、生命線を大きく越えているほどの恋愛線の場合、相手からも大きな愛を受け取ることを指しており、今の恋愛が上手くいくことを暗示しています。
恋愛線の上に星があれば尚良い恋愛ができる!
恋愛線の上に星ができている場合、とてもラッキーな証拠です。星が出来ていると運命的な出会いが待っていることを指しています。手相を見て、恋愛線に星ができたら自分の周りにいる異性や近日中に出会う異性を意識してみましょう。もしそのような相手が現れたらアタックしましょう。
手相占いで重要な金運線とは?
手相占いで重要な金運線はどの線でしょうか。そこで自分でも簡単に判断できる、重要な金運線をいくつか紹介します。手相占いで金運をあげましょう。
財運線
財運線は小指の付け根から下に向かって伸びている線のことです。財運線は財産を蓄える力を表しており、将来財産を蓄えることができるのか、お金を上手く貯金できる能力があるのかどうか判断ができる線です。ですが、貯蓄に力を入れすぎて将来お財布がきつめになってしまう傾向があるので注意しましょう。
覇王線
覇王線は最強の金運の持ち主にしか表れない線です。金運線と財産線が運命線に向かって伸びており、三角形を作っている珍しい線です。お金に愛されて貯蓄の能力もずば抜けてあります。全体の約7パーセントの方しか持っていない、激レアの金運線です。自分で意図していなくてもお金のほうから自分のところに向かってくるとも言われており、お金だけでなく起業したり社長の地位も得られたりします。
手相のシワは変わる!?
手相のシワはずっと一定というわけではなく、成長や環境による変化で手相のシワは変化します。成長により体は大きくなります。手も大きくなり歳を重ねるごとにシワが増えていきます。他にも手はその人の生活や行動がそのまま表れます。学生から社会人になったとき、大きな人生の転機があったときに手相は変化します。手相は良い意味でも悪い意味でも変化するものなので、注意深く見てみましょう。
手相占いで運命を変えましょう!
手相占いの歴史、発祥の地について簡単にご紹介しました。手相占いは古代から現在まで長い間たくさんの人に親しまれている占いです。現在では人気な占いであり、誰でも手軽にできる占いで親しまれています。手相は常に変化します。手相のシワを見て悪い線が出ていても落ち込まないで、それを良い線へ、良い運勢へと変化させましょう。
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