2020年5月最新【宿曜占星術の歴史】空海が学び得た「真言密教」と宿曜のヒストリー

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クリフォード, ランプ, 万里の長城

宿曜占星術と聞いてすぐにどのような占術なのか?と理解できる方は非常に少ないと思います。今回は宿曜占星術を身近に感じてもらうために、宿曜の歴史や時代の背景を踏まえてお伝えしていきたいと思います。宿曜占星術は「しゅくようせんせいじゅつ」と読みます。宿曜占星術との出会いは、なじみの深いお坊さんである「空海」が中国に留学した際に日本に持ち帰られます。

空海と言えば、ある種のカリスマであり、当時の日本で絶対的地位にいた言わばエリート学僧の最澄と共に唐におまけのような形で一緒に留学することになりました。最澄は唐で仏教を学んで広めていきますが、空海は唐で「真言密教」を学んできます。この密教こそが宿曜占星術の元になっているのです。真言密教は空海が直接選んだ弟子にのみ教えていき真言宗として広まっていくのです。

宿曜占星術の起源

宿曜占星術の起源はバベロニアという現代ではイラク南部の歴史地理的領域。

宿曜占星術は「宿曜経」から由来する占星術で、「宿曜経」は、宿曜道の経典の一つです。「すくようきょう」または「しゅくようきょう」と読みます。宿曜道は、密教の一種ですが、現代ではオリエンタル占星術などとも呼ばれます。これはインド占星術に由来します。それは今からおよそ3000年前に発祥しました。もともとはギリシャから伝わった西洋占星術とインドの月占星術を合わせて発展したと言われています。

8世紀、「不空三蔵」という僧が、中国からインドへ仏教を学びに渡った際、「宿曜経(インド占星術)」を学んできました。それを弟子の司馬史揺や楊景風に口述し、筆記させたと序文にあります。

 宿曜経は、正確に言うと「文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経」で、最後の3文字を取って「宿曜経」と呼ばれています。「 文殊師利菩薩 」は「文殊菩薩」のことで、文殊菩薩は智慧の優れた菩薩です。「三人寄れば文殊の智慧」とも言いますね。

 「 及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経 」とは、諸々の仙人らが、文殊菩薩の智慧を授かって吉日や凶日、物事の善悪を決めたという意味です。ここからも宿曜占星術とはどんなものなのかが感じ取れます。

日本での宿曜占星術の発展

弘法大師空海によって日本で発展する。

空海によって日本に広められた宿曜占星術の起源を遡るとバビロニアに繋がっていきます。バベロニアで研究された文文学は、のちに西洋の占星術として体系化し、枝分かれして様々な西洋占星術として発展していきます。この占星術はインドに渡り、ホロスコープ占星術となり現世で主流になっている西洋占星術の礎になります。

そののちにインドのオリジナル占星術として、インド占星術というものが生まれてゆくのですがこのインド占星術を中国に不空三蔵という僧侶が中国に伝えていきます。不空三蔵がインド占星術を「宿曜経」として総括し完成させたのが764年の唐の時代です。宿曜経は、文殊師利菩薩や他の仙人たちの所説を纏めた経典と言われていますが、内容は仏教の教えと呼ぶよりもインド占星術そのものであったと言われています。

空海が唐で宿曜占星術を知ったのは宿曜が編成されてから40年になり、不空三蔵が亡くなってから30年後のことでした。空海は漂流後の変遷から最終的に不空三蔵の弟子である、恵果に師事して正統ない後継者であるという証の儀式を受けるまでになります。そののちに日本に密教を持ち帰り、宿曜経を広めていくこととなります。

宿曜経は日本に持ち帰られてからは、高野山や比叡山や三井寺などの密教僧の研究から更に発展して平安時代の朝廷の庇護の元に占術を成すようになっていくのです。

宿曜占星術を記す歴史の文献から見る存在感

世界最古の長編小説「源氏物語」に宿曜は出ている。

宿曜占星術は藤原一族の宿曜ホロスコープというものが残されています。歴史で一番最初の長編小説「源氏物語」にも、宿曜のことが書かれています。そしてこの源氏物語は宿曜経や宿曜占星術を元に書かれているということを明らかにした書籍なども出版されています。

1981年 大久保 健治著 「密教占星法と源氏物語-源氏物語の見失われた構造」この書籍は宿曜の中の十二宮によって人間関係や性質によって展開されていくことを説明している書籍になります。平安時代には、宿曜経は陰陽師と肩を並べるほどに地位を確立していくのです。

戦国武将も宿曜を用いて戦を展開していったことも歴史の中には残されています。そして、徳川家康は遺言書にも宿曜を世に広まらないようにと残すほど的中率の高さを恐れていたということが後に発覚していきます。

宿曜経と空海について

宿曜経は、弘法大師空海( 真言密教の開祖 )によってもたらされました。

空海は、最澄(天台宗の開祖)とともに、奈良仏教から平安仏教への変遷に影響を与えた1人でもありますが、9世紀、遣唐使として中国(唐)へ渡り、仏具のほか、密教の経典をたくさん持ち帰ってきました。空海は、真言密教を日本にもたらし、宿曜経も伝わりました。空海がそれを日本に合うように解釈して、日本の宿曜道となりました。

ちなみに、空海の誕生日は6月15日とされていますが、この日は、中国に密教を伝えたインド人僧の「不空三蔵」の入滅の日であり、空海は不空の生まれ変わりではないかという言い伝えがあります。

空海は日常生活全般に宿曜経を使用し、弟子たちにも伝授しました。吉日、凶日や物事や行動の善し悪しを判断するときなどにも宿曜を使用しました。宿曜経を使う人は「宿曜師」と呼ばれ、「陰陽師」と勢力を争うほどになり、政治にも役立てられていたようです。陰陽師は映画にもなったり、聞いたことがある方も多いと思いますが、宿曜師はまだそれほどメジャーではないのではないでしょうか。陰陽師も宿曜師も、互いに勅命を受けて協力し合って暦を作成していたようですが、互いにライバルでもあったようです。

宿曜師の活躍

 空海は、様々な秘法を弟子たちに教授しました。

 たとえば、「神泉苑の雨乞い」という伝説は有名です。

神泉苑(京都)には、龍穴があるという噂があります。そこは異界に繋がっていて、日照りが続いても池の水は枯渇しないと言われています。9世紀、嵯峨天皇の時代に、京都は大干ばつに見舞われました。その際、空海は勅命によって弟子たちと雨乞い祈祷をするように言われました。空海や弟子たちは競い合って祈祷をしました。

弟子が、空海の祈祷を妨げようと龍神たちを水瓶に封じ込めたのですが、空海は、それを唯一免れた北天竺(インド北部)の善女龍王を見つけ、祈祷すると、その水瓶は割れ、善女龍王は空へ昇り、 金色の龍となって 大雨を降らせ、都を救ったと言われています。そのほかにも後朱雀天皇の時代に宿曜師である仁海が雨乞いの祈祷をして雨を降らせたという説もあります。

また、紫式部の「源氏物語」においては、登場人物の名前からストーリー展開にいたるまで宿曜の世界観で構成されているともいわれています。全54章は宿曜占星術の12宮のうちの8宮が表すテーマを繰り返すことで構成されていると言います。ストーリーの中に宿曜師も登場しています。たとえば、「澪標(みおつくし)」のなかで、宿曜師が、光源氏の3人の子供の未来を占い、一人は天皇に、ひとりは皇后に、もう一人は太政大臣になると予言したりしています。平安時代に宿曜が流行していたのもここからも見える気がします。

藤原道長の日記の暦注の中にも宿曜経が書き込まれているということです。また、学問の神様として知られる藤原道真の死後、天変地異が多発したと言われていますが、それは道真の祟りだと恐れられていました。その霊を供養したのも宿曜師である浄蔵だと言われています。

 平安時代における宿曜は「世を治める羅針盤」の役割で、特権階級だけの独占だったようで、一般庶民には浸透しなかったようです。

軍略としての宿曜経

鎌倉時代、武家社会になるとともに、陰陽師が衰退していきました。その一方で宿曜は「世を動かす」「国造りの」方法として諸国の武将たちの間で確固たる地位を得ていきました。戦国時代になると、宿曜経は戦術に助言する軍師の役割として活用されるようになりました。かの織田信長も、他の武将との相性を占い、戦いに赴いたとも言われています。また、武田信玄の軍配にも宿曜が書き込まれているそうです。この軍配は武田家ゆかりの恵林寺(山梨県)に保存されています。

ほかにも、上杉謙信、真田正幸、真田幸村、徳川家康、山本勘介、竹中半兵衛、黒田官兵衛、後藤又兵衛などの武将や軍師らも占星術を軍略として大いに活用していたと言われています。当時、武将らは、他の者に生年月日を知られると勝利にも影響が出ると考えて生まれた日を隠していたらしいです。

江戸時代の宿曜経

徳川家康は「宿曜術」を使って豊臣家を滅ぼしたと言われており、「天下統一」には宿曜が関係したといっても過言ではないかもしれません。徳川家康は、側近の僧、天海に宿曜経を使わせました。家康と他の全国の大名との相性を見て配置を転換したりしたそうです。また、大名を宿曜で占って、相性の良い宿生まれの姫を輿入れさせるなどの策も行いました。家康は宿曜を熟知していたようで、「国が安定した後、宿曜を封印しなさい」との遺言も書いたそうです。

 第3代徳川家光は、宿曜経を用いて「七五三」を旧暦の11月15日に固定化したと言われています(諸説あり)。また、家光の四男である幼名徳松(のちの第5代将軍綱吉)が病弱であることを心配し、綱吉の無事を祈るために11月15日に袴着の儀式や修法を行ったとされています。なぜ旧暦11月15日なのか。その日は満月でこの日の宿は「鬼宿」に当たり、あらゆることに大吉とされる吉祥日だったからです。

また、お釈迦様(ブッダ)の誕生にも由来する日とも言われており、のちに庶民もこれにならって現在の歳祝いとして引き継がれています。また、宿曜に関する研究もなされ、覚勝(僧侶)の「宿曜要訣(3巻)」、賢雄の「宿曜経提要」「宿曜経要尽図釈」などが著されました。しかし、宿曜経は的中率の高さを恐れられ、徳川綱吉が家康の遺言を実施し、宿曜経を封じ込めてしまいました。

庶民へ使用禁止令を出したほどです。このため、一般的に知られなくなってしまいました。しかしながら、現代の日本語の中に「宿敵」「宿命」という語彙が残っているのは興味深いところですね。

宿曜占星術と西洋占星術の共通点

宿曜占星術は「月」西洋占星術は「太陽」を元にしている。

西洋占星術はバビロニアの天文字を元に発展していきますが、宿曜占星術はそのバビロニアの天文学がインドで独自の発展を遂げて中国に渡り、のちに日本に渡ってきます。宿曜占星術西洋占星術と同じようにホロスコープを描き、西洋占星術の十二宮に似た宿曜十二級が描かれています。

西洋占星術は「太陽」の動きを基礎とする十二宮であるのに対して、宿曜占星術は月の動きを基礎とする独自の十二宮を使用していきます。月の動きを基礎にしているため、一般的に旧暦と呼ばれている太陽暦を使用して展開していきます。

現代の宿曜占星術

現代の宿曜占星術は非常に多岐に渡って広まっています。毎年かなりの部数の宿曜に関する書籍も出ていますし、2017年には初めての試みとして宿曜占星術を元にした「宿曜オラクルカード」も発売されています。

宿曜占星術西洋占星術に似たホロスコープを使って人間関係や日の吉凶や世の中のことも視ることができます。特に人間関係に関しては27つの宿の相性などを6つに分けてみることができ、一つの相性の中でも自分から視る相手と相手から視る自分に対しての目線が違う点も含まれています。

その内容が非常に細かく精度の高い占術になっていますので、一般的にも浸透していきつつあります。誕生日が一日違っても星座は約2~4週間の区切りで一つの星座になりますが、宿曜占星術の場合は、誕生日が一日違うと宿が変わる点が精度の高さと的中率を高めています。現代では非常に人気のある水晶玉子さんも宿曜占星術をベースに毎年本を出版しています。

宿曜占星術は密教の一つなので、とても使われている言葉が難しかったり難かったりするのですが、小峰由美子さんがこの宿曜占星術を受け入れやすくしたことによってブームになりました。小峰由美子さんも師匠である昭和の時代の最後の宿曜研究家の井開天海さんも独自に研究して宿曜占星術を世の中に伝えてくれたことで宿曜占星術を手軽に身近に楽しむことができるようになったのです。

他にも沢山の方が宿曜を広めて下さる方の力や想いを重ねて知ることが出来ている宿曜占星術は時代が変わっても根強く現代に残っています。

まとめ

宿曜占星術という言葉も実によく耳にする機会が増えてきています。歴史は古く、何度も改良や研究が重ねられてごく限られた人にしか使えない占星術から現代は誰でも楽しむことが出来る宿曜占星術に変化してきました。江戸幕府に宿曜経が使用禁止になり、封印されてから、再度宿曜が「占星術」として認められるようになったのは明治維新以降だと言われています。

江戸幕府が恐れ、封印してしまったというほど的中率が高いこの宿曜占星術ですが、どうしてそんなに当たるのでしょうか。宿曜占星術は月のリズムに基づいているため、人の本質や心に近く、「内面的、感情的な運勢」を見るのに適しています。特に相性を見るのに適しています。一方、西洋占星術は、太陽の通り道を基準としているので、「全体的な運勢の流れ」を見るのに適しています。

 戦国武将が的に知られぬよう隠していたように、宿曜の宿は、生年月日によって決まります。生まれ日が一日でも違うと宿も違います。12星座の星占いとは比べられないほど詳細に分けられているため、運勢や性格なども的中率が高いと評判です。宿曜では、「自分の性格」「相手との相性」「自分の未来の運勢」を見ることが出できます。宿曜カレンダーは、昔の人々がしていたように、何か行動を起こすときなどに参考にするとよいでしょう。

 宿曜占星術は「運命を変える」ものではありません。つまり、占いによって運勢をよくする、などに使うことはできません。が、悪いことを避けることは可能です。自分を知り、相手を知り、良い日を知る。長い歴史を通して見てもわかるとおり、自分自身で運勢をよい方向へ変える「羅針盤」として用いるのが最適だと言えるでしょう。

月を元に占星術を展開していくので人間のリズムや一生に深く関わっていきます。宿曜占星術を使えばすべての人間関係が理解出来るので、恋愛結婚や不倫だけではなく仕事上でのことや一生のことを占うことが出来ます。

密やかに語り継がれてきた空海の秘術である宿曜占星術の世界に一歩足を踏み入れてみると人生の羅針盤を描けるようになるでしょう。

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